ページを選択

令和2年度 応永・永享期文化論研究会レポート①

研究代表者:大橋直義 呉座勇一
開催日時:令和2年6月20日(土)
開催場所:オンライン研究会
参加人数:共同研究員15名(うち海外1)+ゲストスピーカー1名+オブザーバー7名

報告:

古代・中世班のサブ研究会である応永・永享期文化論研究会の令和2年度第1回共同研究会は、令和2年6月20日(土)に行われた。新型コロナウイルス感染拡大への対応として、オンラインで開催した。

 

午前中は、研究成果報告書(研究論集)の構成について議論を行った。

 

午後からは研究報告を行った。1本目の報告は谷口雄太(東京大学研究員)の「⾜利直冬の上洛・没落と⽯塔・桃井・⼭名・斯波―『三国伝記』が描いたもの・描かなかったもの―」だった。国文学では、『太平記』と『三国伝記』の関係が注目されてきたが、歴史学では議論が行われていない。谷口は⽂和四年(1355)に起こった足利直冬(尊氏の庶長子だが尊氏と対立して南朝方につく)の京都攻略戦(失敗)に関する『太平記』・『三国伝記』の記事を比較し、さらに同合戦に関する一次史料(古文書・古記録)の記述とも突き合わせることで、『三国伝記』の記事の特徴を浮かび上がらせた。谷口によると、『三国伝記』が成立した室町期に幕府の重鎮として権勢をふるっていた山名・斯波両氏に『三国伝記』作者が遠慮した可能性があるという。応永~永享期頃成立と見られる『三国伝記』がどのような環境で生まれたかを考察する上で示唆に富む報告だった。

 

2本目の報告はゲストスピーカーである石井悠加(四国大学)の「蓮如と和歌―絵巻補作と歌歴から―」であった。南北朝期に本願寺で制作された絵巻「慕帰絵」(主人公は本願寺三世の覚如)は、その一部が失われたため、文明14年(1482)に補作された。しかし補作した絵巻には、原本には存在した覚如の和歌が一首見当たらないことに石井は着目した。その歌は、勅撰歌人になりたいという覚如の強い願望を詠んだものだった。石井は、蓮如がこの歌を意図的に削除したと推定し、そこから和歌に対する蓮如の価値観を、蓮如周辺の宮廷歌人との関係を視野に入れつつ論じた。永享11年(1439)の『新続古今和歌集』をもって勅撰和歌集が編まれなくなることの意味を考える上でも、文明年間の将軍足利義尚の歌壇の検討が一層求められると感じた。

 

初めてのオンライン共同研究会ということもあり、戸惑う場面もあったが、日本の大衆文化を様々な角度から通時的・国際的に見直すことができ、実りある研究会であった。(呉座勇一)

サブカテゴリー

研究班

月別アーカイブ