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現代班H29年度 第3回共同研究会レポート

現代班H29年度 第3回共同研究会レポート
研究代表者 大塚英志
開催日 平成29年2月17日~18日
場所 2月17日(土)国際日本文化研究センター 第1共同研究室
2月18日(日)国際日本文化研究センター 第3共同研究室

レポート:

大衆文化研究プロジェクト現代班共同研究「運動としての大衆文化」(代表:大塚英志)による平成29年度第3回の研究会では、下記の6つの研究報告が行われた。

2月17日

竹村民郎「1950年代 サークル時代における職場の歴史をつくる運動の位相」 アーロン・ジェロー「理論のコンプレックス―日本映画理論史研究の課題」 石本悠馬「メキシコワークショップ『日本のまんが家と地震の日のことを絵巻アニメにしよう』」

2月18日

川松あかり「語り継ぐ」ことと文化創造運動の間―筑豊旧産炭地域での調査から―」 鈴木洋仁「『協働』という官制用語とニコニコ動画webは社会運動なのか?」 アルバロ・エルナンデス「身体の物語——メキシコプロレス『ルチャリブレ』レスラーヒアリング」

今回は、運動における「現場」と「理論」の双方を対置する構成とした。

1)竹村民郎氏「1950年代 サークル時代における職場の歴史をつくる運動の位相」

竹村氏は50年代に行われた「歴史のブーム」において、「サークル」による文化運動、そして労働者による「職場の歴史」を記録する運動とその背景について語った。この運動は、マルクス=レーニン=スターリン主義に立脚し、歴史学を中心に労働者や労働組合を主体にした1950年代初頭の「国民のための歴史運動」「国民的歴史学運動」を背景にあったが、竹村氏が語る「職場の歴史」を作る運動は「国民的歴史学運動」などへの批判でもあった。

竹村氏が行なっていた歴史学をめぐる文化運動は、「サークル」の形をとり、当時の学問の世界や政治の界隈と自立性を保ちながら、労働者自身から語られる「生きた歴史」の記録に専念した運動であったと本人が語った。「職場の歴史」を作る運動は学生や労働者を主体に行われたが、労働者が自ら歴史をかくには難しいところがあったと述べた。そのため、ガリ版による印刷での共同作業、会員で書かれた歴史の評価会、お互いで行っていた作品の批評などの活動も行い、こういった共同作業や人間関係を重視することによって、職場での様々な亀裂(男/女、労働者/インテリ)を乗り越えていく必要があったと述べた。

竹村氏はガリ版印刷について特別に語った。ガリ版の発行物には、労働者が共有する職場で生まれた「ラディカルな意味」や「感性」と、学生がもった歴史学科の能力や技術が、共同作業によって練り込んでいくことになっていた、という風に語り、ガリ版文化は「職場の歴史」を作る運動にあった様々な亀裂を乗り越えるに重要な役割があったという印象も残す。報告の中で、「インテリ」と「労働者」の間の亀裂が大きく注目され、議論にも取り上げられた論点だった。そこで、竹村氏は両者の間にあるモチベーション(活動の動機)の差に着目した。

報告の中で、以下の文献とその詳細も紹介された。

  1. 職場の歴史をつくる会 編(1956) ,『職場の歴史』、河出書房
  2. 竹村民郎(1960),「国民と歴史」, 井上清・石母田正・奈良本辰也・竹村民郎共編、『現代史の方法』、三一書房
  3. 竹村, 民郎(2001),「戦後日本における文化運動と歴史意識: 職場の歴史・個人の歴史をつくる運動に関連して」京都女子大学現代社会学部『現代社会研究』2001/11/30- 2- 15-29
  4. 竹村, 民郎(2011-2015),『竹村民郎著作集』全5巻 三元社
  5. 井上章一編 (2017),『学問をしばるもの』思文閣出版

 

2)アーロン・ジェロー氏 (Aaron Gerow)「理論のコンプレックス―日本映画理論史研究の課題」

ジェロー氏は日本における映画理論、あるいは日本と映画と理論について考察を行った。ジェロー氏の発表は主に以下の論点を中心に行われたと言える。まず日本と西洋の関係において、日本側からの近代化に関する一種の劣等感と同時に、西洋側からの西洋(ヨーロッパ)の中心主義という状況があると述べ、この状況から日本の映画理論における「二重的な論点」が成っているとジェロー氏が提唱した。その背景において、日本における「理論」という概念の捉え方と、そして「日本」という観念自体の捉え方について考察を行った。

まず、西洋のモーダニティに対する劣等感を「理論のコンプレクス」として分析する。ジェロー氏は西洋による理論の独占(西洋以外の理論は西洋では理論として認められない傾向)とオリエンタリズムの問題(日本の場合、日本の独特性を基にした西洋の批判など)を確認した上、日本側における同じ傾向があると述べた。即ち、日本においては映画理論は映画理論として認めず、批評や思想として認識される傾向が見られる。1910年代の「純映画劇運動」が求めた近代化や「より映画的な映画」などを、理論の下で行われた運動であり、海外の認証の追求した運動であったため「輸出の夢」を見ていたとジェロー氏は評価した。そのため、「理論の素材は海外にある」という前提が初期に作られたという。しかし、ジェロー氏は「理論のコンプレクス」と呼ぶ意識には、「理論」という概念はヨーロッパの中心性が内包されるという不可避的な問題への日本側からの認識もあったとする。

この状況が生み出した日本における「理論」という概念への警戒に続いて、日本における「日本」という言葉に対する姿勢についても語った。寺田寅彦を例に挙げ、「日本映画理論をより日本的」にするというナショナリズムと軍国主義の下での考え方を指摘した。この姿勢は近代的な視野から成立されるという点において、西洋のオリエンタリズムが強調する伝統芸能と異なる。こういった「日本」の強調は、今村太平を含め、映画理論の中に日本の伝統芸能を見出し、最終的に「日本映画理論をより日本的にする」というスタンスから、「日本は映画的である」という提唱に繋がるとジェロー氏が述べた。

このため、日本の映画理論に見える西洋と日本に対する「二重の意識」とその意識が伴う「自己反省」は、今日の映画理論における西洋中心主義への批判と映画の性質の再検討のために参考になるとジェロー氏が強調した。

従って、近年盛んになりつつあるヨーロッパの中心主義研究への批判、そしてメディアの変遷に伴う映画理論の再評価という大きな二つの流れの中に、日本映画理論が参考になる優先的な位置を占めている、というのは本報告の一つの結論であった。即ち、日本における映画理論は常に「自己反省的」であり、一種の「二重の意識」を内包してきたと言えるとジェロー氏は主張した。報告には、カルチュラル・スターディスの視座、そしてアンドレ・バザンとドゥルーズに対する先行的であったとジェロー氏が評価する日本の映画評論家の紹介もう行った。

 

3)石本悠馬氏「メキシコワークショップ『日本のまんが家と地震の日のことを絵巻アニメにしよう』」

漫画家の石本氏は2018年2月1日と4日に、現代班が企画したメキシコでの漫画の展示会、シンポジウムと国際集会で構成された総合イベント「Manga Labo 4」の一環として、子供向けのワークショップを行った(イベントの詳細についてはプロジェクト特設サイトで見られる)。メキシコプロジェクトが企画段階中に、2017年9月19日にM7.1の地震がメキシコシティーの近くに発生したため、地震を体験した子供たちと一緒に漫画を描き、地震の経験を語り、共有するワークショップが企画された。このワークショップは同イベントの一環で開催された「大衆文化は「地震」をどう日本で描いたか」という研究者向けの国際集会の内容と連動したものだった。ワークショップ講師であった石本悠馬氏は子供達と共同でストーリを作り、彼らの絵と声を材料にして、web閲覧用「横スクロールアニメ」、2本の動画を完成した。

石本氏は、「災害の記憶とその記録」「ブリーフケア」と言ったアカデミックな流行とは無縁に活動してきたが、結果論的には学術の流行の先端にある。ワークショップで、子供らに「地震の記憶」という経験を想起させる場合、どうやって、リスクを管理し、まとめ上げて行くか、その過程は理論化されており、メディア理論研究に関心があるはずの参加者から、その部分に関心が必ずしも集まらなかったのは残念である。

 

4)川松あかり氏「語り継ぐ」ことと文化創造運動の間―筑豊旧産炭地域での調査から―」

本報告では、川松あかり氏は現在に行っている博士課程の調査と研究テーマについて述べた。本研究は福岡県の筑豊旧産炭地域における「炭鉱という過去の語り継ぎ」に集中し、民俗学、あるいは文化人類学からのアプローチである。川松氏は「語り継ぐ」において、いかに個人が主体になるかという論点に焦点を当て、2016年から行っている本調査では、川松氏本人も「語り継ぐ」の主体になっていく状況を踏まえ、調査における研究者の位置付けについての考察を行った。

研究者が運動の内部に入り込み、あるいは組織することの意味について、「運動としての大衆文化」という主題をめぐる本質的で普遍的な問題提起であり、研究と社会の関わりの中で立ち位置を模索する初々しい苦悩の中にある発表者に対して、フィールドワーク経験者から、好意的な評価が集まった。研究者ではなく実践者・表現者を意識的に加えてきた本研究会にあって、双方をつなぐ議論ともなった。

 

 

5)鈴木洋仁氏「『協働』という官制用語とニコニコ動画webは社会運動なのか?」

本報告では鈴木氏はウェブサイトと動画共有プラットフォーム「Niconico」(ニコニコ動画)における「協働」という単語の採用に着目した。鈴木氏は「Niconico」の仕組みを説明し、その固有性には「複数のユーザーらが「協働的」に動画作品を制作する」、即ちいわゆる「CGM(Consumer Generated Media)」であると述べた。その中、「共同」と「協働」の単語を比較し、後者は共通の目的の為に働くという点に重みがおかれており、1920年代から30年代においては社会連帯を目指していた単語という、バックグラウンドを指摘した。さらに戦後においては、行政の用語として「協働」は市民社会や市民運動からの「アウトソーシング」との関連を指摘しながら現代におけるこの用語の意味合いに着目した上、「KADOKAWA」と合併した「Niconico」におけるユーザーの活動成果の使用や「web運動」として「Niconico」の性質の可能性について議論した。

なお、質疑の中で、「協働」が近衛新体制用語の「協同主義」に連なる新体制用語であり、クール・ジャパンの文脈で二次創作などを賛美する際に北米のアニメ研究者であるイアン・コンドリーがキーワードに何故、「協働」の訳語があたえられたのか、「協働」という語の政治性に踏み込むべきだという指摘があった。

 

6)アルバロ・エルナンデス「身体の物語——メキシコプロレス『ルチャリブレ』レスラーヒアリング」

本報告ではアルバロ氏は2017年1月18日と19日に、メキシコのプロフェショナルレスラーの間に行ったヒアリングについて述べた。ヒアリングには「Fantastica Mania 2017」というイベントのために来日したレスラーや「CMLL」プロレス団体のスタッフの中から5名、そして日本人のレスラー1名が協力した。報告は、インタビューでレスラーたちが強調した「仕事としてのプロレス」が着目され、その中でプロレスの特有である「スポーツの側面」と「ショーの側面」、オーディエンス、会社とメディアとの関係、社会において「ルチャ」(メキシコプロレス)の意味合い、そして特にキャラクター作りの特徴に着目した。

ルチャは、下記地域のプロレスの中でも、もっぱら日本のオタク文化に対してなされる、北米の理論研究が好む、いわゆるオーディエンス論やキャラクター論、メディアミックス論といった理論を批判的に検証するための豊かな可能性を持つ実例でありながら、必ずしも研究の対象となっていない大衆文化であるという指摘があった。

 

今回は、「現場」と「理論」を対置する意図であったが、「理論研究」が「現場」から立ち上がる「理論」と対話できないこと、大衆文化研究の「理論」が無自覚に、大衆文化に対するメタ的な「ハイカルチャー」としてあることが、大衆文化研究の大きな問題があると思われる。大衆文化に運動という視点を導入することは、運動における理論と実践の関係を問題化することであり、言語化されていない理論を発見することである。その意味で、今後の研究の明確な課題となった回であった。(アルバロ・エルナンデス/ 大塚英志加筆)

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