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応永・永享期文化論研究会レポート③

研究代表者:大橋直義 呉座勇一
開催日時:令和元年12月14日(土)
開催場所:国際日本文化研究センター 第3共同研究室
参加人数:8名+オブザーバー若干名

古代・中世班のサブ研究会である応永・永享期文化論研究会の令和元年第3回共同研究会は、令和元年12月14日(土)に行われた。

 

午前中は、研究成果論集の巻末に掲載予定の「応永・永享期 関連文献目録」の作成方針について会議を行った。

 

午後からは研究報告を行った。1本目の報告は橋本正俊(摂南大学)の「『三国伝記』の「今」を考える」だった。室町期の説話集である『三国伝記』には「今…」という表現が散見されるが、同書は先行の縁起・説話類を多く取り込んでおり、出典の「今…」の記述をそのまま引用していることがままある。橋本報告は、『三国伝記』の「今」が必ずしも同書の成立時期である15世紀(序文によれば応永14年=1407年)を意味するとは限らないということを念頭に置いた上で、同書成立期の時代性を探る。具体的には、『三国伝記』が参照したと思われる先行史料との比較を通じて、同書成立期の15世紀に、天橋立や竹生島において地域に根ざした新たな縁起(名所とその由来)が形成・再構成されたことを明らかにした。名所の成立過程は大衆文化を考える上でも重要な論点だと感じた。

 

2本目の報告は小助川元太(愛媛大学)の「『壒嚢鈔』と『三国伝記』」であった。『三国伝記』は室町期を代表する本格的説話集であるにもかかわらず、中世の写本が現存せず、成立年代が定説を見ない。『三国伝記』の成立年代を考える上で重視されているのが、文安2~3年(1445-1446)に真言僧行誉によって編纂された百科全書的作品『壒嚢鈔』である。同書には、『三国伝記』と同話・類話と思われる説話が多く収録されている。今野達氏はうち9話について、『壒嚢鈔』と『三国伝記』の直接的影響関係を想定している。もし『壒嚢鈔』が『三国伝記』を引用しているとすれば、『三国伝記』の成立の下限は文安2~3年となる。しかし小助川報告は厳密に同話とみなせるのはうち5話にすぎず、それらが全て仏教説話であると指摘する。小助川は『壒嚢鈔』と『三国伝記』の共通母胎となった仏教説話集が存在した可能性があり、『三国伝記』の成立年代を考える際に『壒嚢鈔』を利用するのには慎重であるべきと主張した。

 

3本目の報告はゲストスピーカーである赤澤春彦(摂南大学)の「室町期の陰陽道・陰陽師」だった。夢枕獏の『陰陽師』のヒット以降、市民にもなじみ深い存在となった陰陽道だが、その実態に関する研究が近年急速に進んでおり、赤澤はその牽引者の1人である。室町期の陰陽道については、陰陽師の身分上昇に注目した柳原敏昭氏が「繁栄期」と評価し、これが通説になっていた。これに対し赤澤は、室町期には一部の陰陽師が身分上昇したものの、官人陰陽師の数が急速に減少しているため、総体としては衰退期であると説く。この背景には鎌倉幕府の滅亡・南北朝内乱による朝廷財政の窮乏があるという。室町幕府3代将軍足利義満に重用された安倍有世が陰陽師として初めて公卿に昇ったことが陰陽師の身分上昇につながった点は認めるにせよ、有世は義満に私的奉仕しており、義満が国家的祭祀権を朝廷から吸収したとはみなせないと論じ、柳原説を批判した。さらに、官医は陰陽師に先んじて公卿に昇っており、室町幕府による陰陽師抜擢という文脈でのみ評価するのではなく、技能系中下級官人全体の身分上昇傾向の中で陰陽師の身分上昇を捉えるべきと問題提起した。他にも足利義満期と足利義持期の比較など、興味深い論点が多かった。

 

日本の大衆文化を様々な角度から通時的・国際的に見直すことができ、実りある研究会であった。(呉座勇一)