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応永永享期文化論研究会レポート①

応永永享期文化論研究会レポート①

研究代表者:大橋直義 呉座勇一
開催日時:令和元年6月15日(土)・16日(日)
開催場所:国際日本文化研究センター第5共同研究室
参加人数:12名+オブザーバー若干名

古代・中世班のサブ研究会である応永・永享期文化論研究会の令和元年第1回共同研究会は、令和元年6月15日(土)・16日(日)の2日間にわたって行われた。

初日の報告は、大橋直義(和歌山大学)の「『三国伝記』における寺社縁起」だった。本共同研究会では本年度、応永~永享期ごろに成立したと思われる説話集『三国伝記』を集中的に検討する予定であり、大橋報告はその口火を切るものだった。『三国伝記』の研究史を整理した上で、『三国伝記』に見られる寺社縁起を概観し、成立圏を近江国湖東地域に限定してきた従来の理解を批判した。大橋報告をめぐる討論の後、今後の共同研究会の開催計画について会議を行った。

2日目は、まず共同研究会の成果報告書の企画について議論を行った。その後、重田みち(京都造形芸術大学・非常勤講師)が「世阿弥と一条兼良の交流の可能性―足利義持政権期における中国古典の学問・受容に関する考察の一環として―」という報告を行った。重田報告は応永25年(1418)頃に執筆されたと見られる『風姿花伝』神儀篇には中国古典の深い教養がないと書けない記述が散見されることに注目し、それらの知識を世阿弥に提供した知識人として一条兼良周辺を想定した。

2本目の報告は大澤絢子(大谷大学真宗総合研究所東京分室PD研究員)の「親鸞伝の中世的展開」だった。親鸞の曾孫で本願寺第3世にあたる覚如の制作した「親鸞伝絵」のうち、康永2年(1343)成立の康永本は宗祖「本願寺聖人」としての親鸞像を決定づけた。康永本に基づいて「御絵伝』『御伝鈔』が本願寺で大量に制作され、全国の末寺に下付された。この本山下付制が15世紀に確立したことで親鸞像が固定され、新たな親鸞伝は生み出されなかった。一方、近世以降は絵解きや浄瑠璃など大衆向けも含めた多様な親鸞伝が展開し、近代には大正期親鸞ブームを経て、メディアを通じて親鸞像の大衆化が更に進展していく。

日本の大衆文化を様々な角度から通時的・国際的に見直すことができ、実りある2日間であった。