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2017.9.28 現代班研究会第4回/「大衆文化史」教科書プロジェクト準備会第2回レポート

2017.9.28 現代班研究会第4回/「大衆文化史」教科書プロジェクト準備会第2回レポート

報告:

2017年9月28日武蔵野公会堂にて、 第4回大衆文化研究プロジェクト現代班研究会兼第2回教科書プロジェクト準備会が行われました。まず冒頭で特別ゲストである牧野守氏による「東宝映画の成立以前とマンガ・アニメーション映画の関連性」と題したレクチャーが行われました。牧野守氏は、在野の映画史家として知られ、貴重な映画資料のコレクターでもあり、近年は彼が収集した膨大な映画関連資料のコレクションがアメリカ・コロンビア大学図書館に収められています。東宝映画発足以前に、「文化映画」と漫画やアニメーションがいかに関係を結んでいたかという今まで語られることの少なかった事例について、貴重な視覚的資料を元に丁寧に紹介がされました(詳しくは以下を参照ください。『トビオクリティックス#3』太田出版、2017年9月29日、pp.61-65)。映画学が専門のアーロン・ジェロ―・イエール大学教授も参加され、企業タイアップ、メディアミックスの問題、東アジアのアニメーション映画など、豊富な話題提供と意見交換が行われました。

教科書プロジェクト準備会では、伊藤慎吾・日文研客員准教授による「大衆文化萌芽期としての古代・中世:非大衆社会の創造力のゆくえ」と題する発表が行われました。大衆文化の定義、大衆文化の通史を編むことは果たして可能なのかという問題はひとまず脇に置いたうえで、日本の大衆文化についての歴史的な見通しをもつ入門書があるに越したことはないとの、教科書制作プロジェクトのリーダーである大塚英志・日文研教授が趣旨を提示したうえで、発表が行われました。

発表では、伊藤氏の担当が古代・中世という700年代から1600年代までを扱うという壮大な歴史的スパンであるに関わらず、「民衆(庶民)の文化」という観点からは資料的な制約が多いこと、一般民衆はこの時代には主体的な表現媒体持ち合わせていないことを問題点としてあげたうえで、古代・中世における「大衆」を「政治的・社会的には被支配層にありながら、時代の流行を生み出し、表層的な文化を主導した不特定多数の人々」、「大衆文化」を「政治・文化の中心である京(都市)の大衆社会で発生し、地方に波及した文化現象の総体」とひとまずは位置づけたうえで、比較的民衆が参与したと思われる芸能に注目し、話が進められました。「1、芸能を人の手に」「2、大衆が芸能を変質させる」「3、恋・涙・笑い・戦いを志向する大衆」という3つの項目により話が進められ、豊富な視覚的資料と文献を紹介しつつ、表現者・受容者としての「大衆」の姿が跡付けられました。

大塚教授のコメントでは、この発表を通じて、通史を見通すためのポイントとして、1、表現する大衆の姿が見てとれること、2、大衆文化の場の重要性、3、宗教性が薄れることで商品や興業に転じる大衆文化のあり方、 4、猿楽から歌舞伎へというある種のパラダイム転換に注目することの重要性、そして、5、歌舞伎といったある一定の時代における代表的な大衆文化を中心として、文芸や浮世絵など隣接ジャンルへと伝搬していく大衆文化のメディア・ミックス的なあり方への注目、6、ロー・カルチャーもまた様式化し退廃していく傾向への注目などが提示されたとまとめられました。また、会場からは、社会学では大衆という概念とその誕生という議論に終始しがちであるが、このプロジェクトでは、あえて文化史という立場からこうした議論をいなしながら進めることに意義があるのではないかという意見などが提示されました。

(前川志織)