大衆文化研究アカデミックプログラムin パリ 第1日目ワークショップ:フランスにおける大衆文化研究の現在
大衆文化研究アカデミックプログラムin パリ 第1日目ワークショップ:フランスに置ける大衆文化研究の現在
日時:2019年10月21日 13:30~18:15
会場:パリ・ディドロ大学
参加人数:約45名
パリでのアカデミックプログラム第1日目は、フランスの若手日本文化研究者の報告に関するワークショップを行った。
①「博物館と「民」の文化 常民文化からポピュラー文化へ」
アリス・ベルトン(INALCO、IFRAE)
明治から現代までの博物館展示における「民」の位置づけの変遷をたどった。
「民」の文化を展示することについては、民族学・民俗学に基づく常民文化を展示する、あるいは、ポピュラー文化を展示するという二つの方向性があり、前者は地域の文化に根差した博物館、後者は一つのテーマに特化した対象を扱う博物館に代表されている。
事例として、国立歴史民俗博物館の民俗展示の開館当初とリニューアル後の内容を取り上げ、展示されること自体が、展示される対象に保存・展示するだけの価値を与える意義があることを指摘した。
②パネル発表:楽曲の制作過程とその受容における「聴く」ことの重要性
「童謡の作り手と聴き手の相互依存」
クララ・ヴァルテール(リール大学、IFRAE)
近代の「童謡」がどのように成立していくのか、当時の時代背景を踏まえながら報告した。童謡は、「わらべ歌」をもとに、北原白秋たちが作成したもので、当初歌詞のみだったが後に曲がつけられていった。それにより、都市の子どもたちを中心にして、楽譜を読んで歌う慣習が生まれていった。その後、子どもの歌謡スターの誕生、レコードやラジオなどのメディアを通して童謡が広がっていく様を指摘した。
聴き手に注目すると、それは子どもだけでなく、大人も近代の新しい文化として、あるいは郷愁を誘うものとして童謡を聴いていた。また、童謡を聴く場も、音楽会ほか多様な機会が催され、童謡を共有する人たちが形成されていった。童謡とは、近代的・大衆的な象徴として重要な位置にある文化である。
③「日本と現代音楽 日本的な「耳」の構成へ」
ジェレミー・コーラル(INALCO、IFRAE)
戦後日本の作曲家による、日本的な「音の聴き方」という思想について、欧米の音楽思想との差別化などの視角から検討を行った。実際に音楽を聴きながら、武満徹ら作曲家はそれぞれ立脚点もそこから展開した思想も異なるものの、欧米との差異を強調し、「伝統」とは何かを模索することから、日本的音楽のアイデンティティを自覚することに共通性があることを指摘した。
④「昭和初期の作家・長谷川海太郎の文学的地平線を求めて」
ジェラルド・プルー (セルジー・ポントワーズ大学(AGORA、CRCAO))
江戸川乱歩と同時代に活躍した複数のペンネームを持つ作家、長谷川海太郎(谷譲次・牧逸馬・林不忘)が近代日本の大衆文化に如何なる影響を持っていたのかに関して報告を行った。
特に、紀行文『踊る地平線』に見るフィクションとノンフィクションの境界性の希薄さ、欧州の犯罪実録やユーモア文学の紹介などが、長谷川の近代大衆文化における大きな意義であることを指摘した。その一方で、昭和初期にあれだけ有名だった長谷川が後に無名な存在になっていくことに、大衆文化における作家性とは何かという問題提起も行った。
⑤「阿部和重の純文学におけるポップカルチャー」
トマ・ガルサン(パリ大学=パリ・ディドロ大学、CRCAO)
三島由紀夫を研究することから浮き上がった、純文学と大衆文学のつながりについて、2004年に芥川賞を受賞した阿部和重の著作を事例にして考察を行った。阿部の作品には、ポップカルチャーのステレオタイプやイメージを参考にしつつも、それを覆すかたちで純文学に転用することが大きな特徴であり、そこにはステレオタイプとなったポップカルチャーが社会に浸透していることが背景に踏まえていることがあった。
⑥「障がいを持つヒロイン テレビドラマにおける女性障がい者の表象」
アンネ・ミトー(パリ大学=パリ・ディドロ大学、CRCAO)
メディアと大衆文化における障がい者像について、テレビドラマに登場する女性の障がい者を事例にして分析した。各国では、障がい者が無性というイメージが強いなか、日本のテレビドラマにおける女性障がい者は「性のない存在」か「障害のない男性に片思いをする存在」というパターンが多いという傾向がある。それらは、障がい者女性の社会参加にポジティブなイメージを与える効果があった。しかし、ドラマに登場する女性障がい者には、一般の女性のメタファー、つまり、日本社会で女性が負っている規範やジレンマなどを代表する存在-女性が直面する社会的障壁に対峙する存在―の面が投影されていることを明らかにした。
⑦「現代日本における新聞社という存在の変化 : 空間の社会学的分析からの考察」
セザール・カステルビ (INALCO)
新聞社の建物―本社ビルと支社―の在り方から、大衆性を読み取る試みを行った。大都市の中心部にある大手新聞社の本社ビルは、他の企業ビルと見分けのつかない建造物、つまり何の企業か不明である。一方、地方にある支社は、住宅街の一軒家に看板を掲げるかたちで設置され、地元住民が気軽に参加しやすい形態をとっていた。しかし、現在の支社は、本社ビルのような無機質な様態をとっている。その背景には、新聞というメディアの在り方の変化が大きく関係していることを指摘した。
各自の報告終了後、海外で日本研究が行われる意義を中心にした全体討論が行われた。