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レポート:ワークショップ「東アジアの大衆文化」

レポート:ワークショップ「東アジアの大衆文化」

日時:9月25日13:30−18:00

会場:清華大学 人文社会科学高等研究所

 

清華大学人文社会学高等研究所・沈衛栄教授と日文研・小松和彦所長による開会の辞のあと、第一部では、劉暁峰・清華大学歴史系教授の司会のもと、中国の研究者による5つの発表が、第二部では、日文研の大衆文化研究プロジェクトの構想と実施についての各研究班の代表から報告が行われ、 アットホームな雰囲気のなかで清華大学などの学生も多く参加し、充実したワークショップとなった。

高陽(清華大学外文系副教授)「『太平記』の「無熱池」:太平記読み・「大衆文学」への道」では、須弥山図と天竺図の中心的な位置を占める「無熱池」についての説話が「太平記」に扱われている例をもとに、東アジアの世界観が、近世記の「太平記読み」を通して日本の大衆社会にも浸透した可能性について示唆した。説話伝承と絵画の関係という観点は大衆文化と関わりが深く、世界観としての地図と現実との連続性についての指摘も興味深かったという日文研・荒木浩教授のコメントがあった。

姚霜(清華大学人文学院博士課程)‘The Interplay of text and image in Tibetan Buddhist Art, a study on the visual narratives of mural paintings in dGa’Idan Phun tshogs gling Monastery’では、チベットの寺院、dGa’Idan Phun tshogs gling Monasteryにおける壁に飾られた40の仏画の空間配置とその図像を分析することで、中国仏教美術との比較を意識しながら、経典(Jonang doctrine)における物語と図像との関係性を検証した。王志松・北京師範大学教授からは、「大衆文化」というテーマにおいて仏教という宗教性に注目したことが評価されるとのコメントが寄せられた。

楊力(清華大学外文系研究員)「「性」はいかに科学と出会ったか?:清末期の中国における性科学書と大衆文化」では、清末期の中国における性科学書を通して、「科学」として伝わった欧米の性文化は、20世紀初頭の中国ではどのように受容されたのか、当時の知識人はその翻訳を通して、どのような新たな大衆文化を形作ろうとしたのかを検討された。日文研・大塚英志教授および劉建輝・副所長からは、疑似科学の観点からアプローチすることで、近代的な知を受容してどのように大衆文化へと繋がっていったかについての豊かな事例が検証できるのではないかとのコメント、小松所長からは、疑似科学の観点からみることで、大衆文化が科学や伝統文化とどうせめぎ合ったかをみることができるのではないかとのコメント、日文研・安井眞奈美教授からは、女性雑誌などを素材とすることで、実際の女性たちの声にも注目する方法があるのではとのコメントが寄せられた。

徐園(中国人民大学)「日本占領期の『北京漫画』にみられる日本の漫画」は、中国と日本の漫画交流史という立場から、1940−43年に北京で刊行された漫画雑誌『北京漫画』にみられる日本人漫画家の作品を整理した上で、この雑誌は、日本の国策宣伝の基盤の一つとしての性格をもちながらも、久米宏一らの日本人漫画家たちの北京の風俗の素描作品を例に、国策宣伝とは異なる側面もかいま見えることを指摘した。大塚教授より、植民地文学研究に比べ植民地の漫画についての研究は遅れており、特に、北京における漫画とその活動は盲点となっていたが、丹念な資料調査により、新日本漫画家協会の性格を実証的に裏付けるものとなっているのではとのコメントが寄せられた。

劉妍(中国人民大学外国語学部講師)「「震災後文学」からみる近未来の大衆社会:川上弘美『神様2011』を中心に」では、川上弘美『神様2011』のテキスト分析とその批評分析を通して、震災をめぐる非日常生活における日々の暮らしのあり方、震災後の社会における孤独感や不信感などとどう向き合うべきかなどが検証された。大塚教授からは、「震災後文学」という言説そのものや、3.11に限らずさまざまな震災を経験した大衆の感覚を問い直すというアプローチがあるのではないか、安井教授からは、最近日文研での研究集会での発表にあった「災難文学」といった特定の災害に限定しない用語の設定、他国における「災害文学」との比較することで、3.11を相対化することにも繋がるのではないか、小松所長からは、災害をめぐる事象における表と裏の側面をみることや、文学批評について距離を置きながら分析する必要があるのではないか、とのコメントが寄せられた。

王志松・北京師範大学教授による総括コメントとして、中国の日本大衆文化の研究の流れについて発表が行われた。発表を要約すると、中国における日本大衆文化の背景として、1902年の黒岩涙香の小説の翻訳、70年代の推理小説の翻訳ブーム、70年代末のアニメ『鉄腕アトム』の登場があげられるが、中国の学会ではこの分野の研究については無視された。しかし、2000年代には、日本大衆文化が研究対象となるようになった。これは、90年代からの経済化と都市化のもとで、上海モダン文化の通俗文学の再評価や、中国における文学、演劇の民営化、日本の漫画、アニメ、音楽の流行などが背景にあると思われる。その流れのなかで、「大衆」という言葉が再登場した。1920年代日本語の「大衆」を借用するようになり、30年代には「プロレタリア階級」の意味が含まれるようになったが、50年代には「大衆」という言葉消え去り、「人民」という言葉が政治的な背景のもと浮上した。しかし、80年代には文革時代のイデオロギーが崩壊し、マスメディアの発達が重なり、民間の動きを含めたなかで「大衆」の語が再浮上したと思われる。現在は、日本大衆文化は見逃すことのできない研究対象となっており、大衆文化とメディアとの関係とその受容、歴史的検証、産業との関係、大衆文化における中国の題材など、さまざまなアプローチが試みられている。

 

第二部では、王成・清華大学外文系教授の司会により、大衆文化研究プロジェクトの構想と実施について、各研究班の代表から短い報告が寄せられた。

古代・中世班代表の荒木教授の報告では、共同研究会「投企する古典性:視覚/大衆/現代」と連動した研究として説明された。「古典」と「視覚/大衆/現代」を結びつけるキーワードとして「投企」という言葉を用いることで、従来の研究のあり方を再検討する機会とすることを企図している。そのなかで、翻訳の問題、海外の日本研究学生の「古典」教育課程、「かわいい」美術としての「古典」受容、「古典」についての汎用性の高い学術用語の開発や発信、などさまざまなテーマに取り組んでいる、との報告がされた。

近世班代表の小松所長の報告では、「新しい日本像」をキーワードとし、これまでの妖怪文化研究にもとづき、それを総括する方向性も含みながら、日文研所蔵資料を活用した春画研究と併行し研究会を組織している。これまでの妖怪文化研究では、学際的なアプローチとともに、データベース作成や日文研における資料収集を行なってきた。そのなかで、データベースが受け手の反応と関係を築くなかで充実していったことなどが説明された。今後の見通しとして、どう「大衆文化」を定義するかに執着しすぎることなく、時代区分の垣根を越えて、特に、ヴィジュアルな表現に注目しながら大衆文化研究の総合的なアプローチを目指したいとして締めくくった。

近代班代表の細川周平教授の報告では、共同研究会「音響と聴覚の文化史」をベースに活動しており、音響や音を聴いている人についての研究の歴史は長くはないが、「音楽」に限定するのではなく、五感の一つである「音」に注目することの意義について説明された。たとえば、江戸時代後期から明治時代にかけての音楽療法、関東大震災をめぐる騒音の視覚化、温泉場における歌と動作との関係、19世紀後半欧米における録音機という音響メディア、など多岐にわたる話題のつまった研究に取り組んでいることが報告された。

現代班代表の大塚英志教授の報告では、若手と在野の研究者を中心とした研究会を組織しており、大衆文化研究のプロジェクトに関わるうえで、一過性の流行に陥らないようにすることが目的であることが確認された。その方針として、「群れとしての作者」に注目すること、現代文化の起源としての戦時下に注目すること、在野の大衆文化研究に学ぶこと、仮説に基づく表現方法の実験を行うこと、が説明された。

最後に、海外において大衆文化研究プロジェクトのメンバーがそろって登壇する試みは初めてで、充実した議論となり、主催いただいた清華大学に感謝すること、この勢いに乗って、明日以降の連続講座に取り組んでいきたいとの劉副所長の挨拶により、ワークショップが締めくくられた。

(前川志織)