ページを選択

古代・中世班 H29年度共同研究会⑤レポート

古代・中世班 H29年度共同研究会⑤レポート
研究代表者:荒木浩
開催日時:平成30年1月20日(土)・21日(日)
開催場所:国際日本文化研究センター第3共同研究室
参加人数:23名+オブザーバー若干名
報告:

古代・中世班の第5回研究会は、平野多恵の「おみくじ・歌占プロジェクト」と、河野至恩の「日本文学の翻訳と流通プロジェクト」を2つの柱として、1月20日・21日の2日間にわたって行われた。古代・中世班リーダーの荒木浩から参加者に向けて、これまでの研究会での成果、今後の研究会の具体的な開催予定に関する説明が行われた後、ゲストスピーカーの前島志保、海外共同研究員の楊暁捷、李愛淑の紹介が行われた。

初日の1本目の報告、平野多恵(成蹊大学)の「おみくじから歌占、託宣歌へ―研究・教育・大衆化の連環―」は、おみくじ・歌占(うたうら)の歴史を概説すると共に、おみくじ・歌占をテーマにした体験型授業、アクティブ・ラーニングの実践例を紹介した。学生に日本の古典文化・古典文学に興味を持ってもらうためにおみくじに注目した報告者が十文字学園女子大学短期大学部、成蹊大学文学部で行ってきた様々な取り組みが具体的に紹介された。中でも、東京都板橋区の天祖神社と提携して大学院生と共に新しい「和歌みくじ」を創作した「天祖神社歌占プロジェクト」は、日本の伝統文化である和歌と、現代の占いブームを結びつけ、古典の普遍性を新しい形で提起した試みとして興味深く、大衆文化プロジェクトを進める上で示唆に富むものであった。討論では、学生時代にアクティブ・ラーニングを受講していない教員が自身の授業にアクティブ・ラーニングを取り入れることの難しさなどについて活発に議論が交わされた。

初日の2本目の報告、河野至恩(上智大学)の「20世紀前半の欧米語圏における「日本文学」認識をめぐる試論」は、報告者の体調不良により、Skypeを通じて行われた。日本近代文学が他言語にどう翻訳され、どう受容されたかを明らかにすることで、近代世界における文化流通のダイナミズムに迫る報告であった。1950年代以降、(後述のAlfred A. Knopf社の日本文学翻訳プログラムの影響もあり)欧米圏では日本近代文学を川端康成・谷崎潤一郎・三島由紀夫に代表される耽美的な文学とみなす認識が確立したが、そのようなイメージが確立する以前の20世紀前半には、日本文学作品はどのような枠組みの中で解釈されたのか。この問題を、光井武八郎とグレッグ・シンクレアが英訳した二葉亭四迷の小説『其面影』(Alfred A. Knopf社、1919年)やグレン・ショーの日本文学作品の翻訳などを題材として丁寧に論じており、日本文学を捉え直す上で学ぶところが多かった。討論では、二葉亭四迷や森鴎外が海外の読者をどのように認識していたか、1930年代の欧米圏における日本文学紹介の動きに日本側がどう対応したのか、小説以外の日本近代文学作品への関心はどうだったのか、などについて議論があった。

2日目の1本目の報告、片岡真伊(総合研究大学院大学大学院生)の「表紙カヴァーにみる日本近代文学の英訳出版現場〜クノップフ社における表紙図選択と宣伝手法を中心に〜」は、1954年から70年代半ばまでAlfred A. Knopf(クノップフ)社で行われた日本文学翻訳プログラムにおける宣伝戦略に注目したものであった。具体的には、クノップフが「寡黙なセールスマン」と重視した表紙カヴァーの決定過程、選定方針を検討し、幅広い読者の獲得を目指して原著の表紙よりも日本イメージを強調した装丁を追求したことを解明した。討論では、表紙カヴァーが実際に読者にインパクトを与えたのか(クノップフ社の思惑通り、日本文学を知らない一般読者の需要を喚起できたのか)、同じ作品の翻訳でもアメリカ・ヨーロッパ・アジアなど地域ごとに表紙カヴァーの作り方が異なるのではないか、中国文学は欧米圏でどう紹介されたのか、などについて議論が交わされた。また河野至恩からは、表紙カヴァーに限定するのではなく、欧米圏での近代日本文学イメージを確立したクノップフ社の日本文学翻訳プログラム全体を評価する必要がある、とのコメントが寄せられた。
2本目の報告、前島志保(東京大学)の「拡大される俳句の詩的可能性――世紀転換期日本と西洋における俳句、出版、翻訳」は、19世紀後半~20世紀初めに英語・ドイツ語・フランス語で出版された俳句紹介文において、俳句の面白みがどのように説明されていたのか、また具体的にどのように句を解釈し鑑賞することが推奨されていたのかを追究し、それを俳句の解釈・鑑賞の歴史の中に位置づけたものであった。俳句は日本においては自明だが、詩歌観が異なる西洋においては異質な文学ジャンルであるので、西洋に俳句を紹介するにあたっては俳句の特質と存在意義を根本から考え直す必要があった。バジル・ホール・チェンバレンらは俳句の絵画性に着目し、また作者の感情表出を読み取る鑑賞法を提唱した。こうした西洋人の俳句鑑賞は、正岡子規らの俳句革新運動とも共鳴し、俳句の詩的可能性が再解釈・再評価・再発見され、拡大されていったことを前島は詳細に論じた。討論では、俳句が国際化した現代において季語の問題をどう考えるか、などについて議論が行われた。

2日間にわたる研究会において、日本文化が地域や時代を超えることで、どのような変容を遂げたかという問題を、国際的・学際的な視点で議論を積み重ねることができたと考える。

(呉座勇一)