ページを選択

古代・中世班 H29年度共同研究会④特別会議「お伽草子の再発見」レポート

古代・中世班 H29年度共同研究会④特別会議「お伽草子の再発見」レポート

研究代表者:荒木浩
開催日時:平成29年11月18日(土)・19日(日)
開催場所:国際日本文化研究センター第1共同研究室
参加人数: 35名+オブザーバー若干名
報告:
大衆文化プロジェクト古代・中世班の共同研究「投企する古典性―視覚/大衆/現代」の第4回(特別会議)として、「お伽草子の再発見」をテーマとする会が開催された。
まず本会の趣旨を説明する。中世後期にお伽草子と称される多種多様な短編の物語作品が次々に生まれていった。それらの中には、改作というかたちで近世に至ってなお成長を続けるものもあれば、作風を踏襲して新たに創作されるものもあった。しかし新たな物語ジャンルが生まれる中で、次第にその価値を失っていった。そのお伽草子が再び注目されるようになるのは近代に至ってからである。すなわち〈国文学〉の研究が進むことで、文学史の対象にされていったのである。とはいえ、その評価は物語文学の零落した姿といった低い認識傾向が大勢を占めていた。しかし、それは反面、民衆主体の文芸の萌芽として評価する流れも生み出していく。
近代におけるお伽草子は、そのような文学資料としての価値が見出されただけではない。絵巻・絵本としての美術的価値、児童文学を主とする子供の文化の中での価値、地域社会における歴史・観光的価値、近代文芸の題材としての価値なども発見されていったといえよう。そして、現代においてなお、これら諸分野での受容は続いている。
以上のように、本研究会では〈古典文学が近代文化の中でどのような価値を与えられてきたのか〉という歴史的側面を踏まえ、〈現代の文化の中で、どのように受容されているのか〉という資源的な側面をも見据え、大衆文化における古典文学の役割や意義を考える機会にしようと試みたものであった。

第1日目はお伽草子絵巻・絵本・絵入版本の「美術品としての評価」に話題を集中させた。下記の報告4種の前に、伊藤慎吾が導入として「全体の概要、学問対象としてのお伽草子の受容史」を簡単に話した。現代において、書籍の表紙や口絵、広告やポスター、またウェブサイトのデザインに用いられるようになっているが、これは80年代の頃から目立ち、ネット社会になって浸透していったものであった。近世の調度品としての需要、明治大正期の名家から古美術の市場へ、市場から国内外へ流出して個人コレクターや大学、図書館等で再コレクション化していったこと、1979年開催の奈良絵本国際研究会議の文学・美術研究や出版界に与えた影響などを説く。
1つ目の報告は上野友愛氏の「お伽草子絵巻と絵師」である。お伽草子絵巻は上層階級に愛好されてきたが、やがて市民層にも浸透し、宮廷絵師だけでなく市井の絵師に至る広範な画人の手で制作されるようになった。ここで問題となるのが、一般にお伽草子絵巻に対しての評価に用いられる〈稚拙美〉や〈素朴美〉という表現である。発表者は純粋に稚拙、素朴なものではなく、あえて稚拙、素朴に表現するプロの絵師の存在を指摘する。
2つ目の報告は恋田知子氏の「〈奈良絵本〉の定着と近代文化」である。お伽草子絵本の代名詞として今日定着している〈奈良絵本〉という呼称は前近代から用いられてきたものではなく、明治期の新語であった。その初出は明治42年(1909)9月の『集古会誌』であり、同年刊行の『文芸百科全書』にも見える。この語の定着には、これに先行する明治30年代における集古会などの趣味人や和本屋、草創期の学者たちの人脈が大きく関与していることを述べる。
3つ目の報告は宮腰直人氏の「丹緑本の「発見」と「再創造」」である。近世初期の絵入りの古活字本や整版本の絵に丹・緑・黄などの顔料で簡単に敷彩したものを丹緑本という。出版史的には短い期間に作られたに過ぎず、伝存数も少ないが、柳宗悦を筆頭とする民芸運動に影響を与えるものであった。それは上述の〈稚拙美〉〈素朴美〉を体現するものだったからだ。そこで本報告では宗悦に近い染織家芹沢銈介による再創造などを論じている。その芹沢と、丹緑本最大の収集家吉田小五郎の双方に共通する人物に横山重がいる。これによって、お伽草子伝本の発掘・調査・収集・翻刻に尽力した横山が丹緑本の美術的価値やその受容を考える上で重要であることが明らかとなった。
4つ目の報告は徳田和夫氏の「在外お伽草子絵巻の一端」である。ニューヨークのスペンサー・コレクション、ダブリンのチェスター・ビーティ・ライブラリー、ロンドンの大英図書館、ハーバード大学美術館、オックスフォード大学ボドリアン・ライブラリー日本図書館が海外のお伽草子コレクションとして看過できないものであり、戦前の山中商会、戦後の弘文荘(反町茂雄)の役割が非常に大きかったと説く。ついで在外資料として『鶏鼠物語』、『猿の草子』を取り上げ、在外資料を見出したことで明らかになったことを述べた。最後に奈良絵本国際研究会議が現代におけるお伽草子研究の出発点になっているとも説き、現代のお伽草子受容に本会議が大きな影響を与えたであろうことを示唆する。

第2日目は「近代文化における位相」をテーマとした。まず導入として伊藤慎吾が「メディアの中のお伽草子」と題して、お伽草子コンテンツの利用について概要を説明した。近代の学問・研究の領域では文学としての稚拙さから、物語文学の零落したものと否定的な評価を受けながらも、神話学・民俗学の進展にともない、伝承文学としての側面を評価し研究する動向が現れてきた。その一方で、欧米から新たな児童文学や児童を対象とした文化活動が盛んになる中で、お伽草子を題材として用いた絵本が現れるようになってきた。しかし、近代小説や漫画、アニメーション作品においては目立った動きはなく、同時期の大衆文芸というべき説経節とは対照的な受容の在り方を示していることを述べた。
1つ目の報告は久保華誉氏の「お伽草子と子どもの文化」である。サントリー美術館で開催された『鼠の草子』の子ども向けの展示に注目し、鼠が近代の絵本の中でどのように描かれてきたのか、また、鼠に対する子どもの感じ方を取り上げた。『鼠の草子』の場合、鼠と人間との異類婚というモティーフをもっている。子どもたちの意見には異類婚に対する忌避意識や嫌悪感がなく、むしろ鼠に同情する意識が強いことが分かった。児童心理の面からお伽草子の近代的意義を捉えなおす貴重な指摘といえよう。これについで『鉢かづき』絵本の展開を見、さらに『酒呑童子』絵巻のパロディである『やさいのおにたいじ』を取り上げた。本作は絵巻表現を踏襲したものである。このように、近代の子ども絵本において、お伽草子の題材や趣向を取り入れたものが散見されるところから、お伽草子を用いた創作の可能性を見て取ることができるし、また今日でも子どもたちにお伽草子を受け入れる余地があることが分かる。しかし、現状においてはお伽草子に接することが少ないため、その機会を作ること必要があるということであった。
2つ目の報告は山本淳氏の「近代文学とお伽草子~坪内逍遙『鉢かつぎ姫』を例に~」である。シェークスピアの翻訳でよく知られている坪内逍遙には『新曲浦島』、『新曲赫映姫』、『役の行者』といった日本の伝説や物語に取材した演劇脚本がある。そして『鉢かつぎ姫』というお伽草子『鉢かづき』に拠った作品も作った。本作については、従来ほとんど注目されてこなかった。実際、上演回数も少ないものであるが、しかし、後世、長唄として受け入れられていく流れを辿れることが分かった。
3つ目の報告は漫画家近藤ようこ氏の「中世を描くには」である。お伽草子が漫画の題材となることはとても少ない。実際、お伽草子をまるごと漫画化するのはむつかしいので、用いるとすればモティーフを抽出して、自分の話に入れ込むことが多くなる。藤田和日郎の漫画(伊藤注=『月光条例』)に鉢かづきがサブキャラとして登場するが、見た目も変わっていて、個性があり、漫画に使いやすいものといえる。漫画にする場合は〈キャラが立っている〉ことが重要なのだ。オチまで行った時、読者が納得し、カタルシスが得られるようでなければならない。お伽草子と同時期の説経節はキャラが立ち、ストーリーに起伏があるから漫画にしやすい。これに対してお伽草子は、そういう点が足りないから、一般の漫画の読者にしては退屈に感じられるだろう。また、お伽草子は内容が豊富で宝の山ではあるが、しかし漫画に用いられないのは、そもそも知られていないことも原因だ。現代語訳がほとんどない。『日本古典文学大系』(岩波書店)などはハードルが高いといった趣旨のことを述べた。

初日、2日目それぞれ、報告後に全体の討議が行われた。1979年の奈良絵本国際研究会議の各界への反響、〈奈良絵本〉という名称と明治期の〈古都〉奈良の地域文化・行政・振興活動などとの関わり、奈良絵本の工房とその終焉、さらには奈良扇などに関わる職人との関わりなどが問題となった。
また、時間の都合で深めることができなかったが、古典文学の受容をめぐる研究活動と創作活動の連携の在りようについて意見があった。古典文学を教育の場だけでなく、大衆文化の方面から生かしていく道を模索することは今後必要なことだろう。

(伊藤慎吾)

サブカテゴリー

研究班

月別アーカイブ