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古代・中世班 H29年度共同研究会②レポート

古代・中世班 H29年度共同研究会②レポート

研究代表者:荒木 浩
開催日時:平成29年8月1日(火)・2日(水)
開催場所:国際日本文化研究センター 第1共同研究室
参加人数:34名+オブザーバー若干名
報告:

古代・中世班の第2回研究会は、合山林太郎(慶應義塾大学准教授)主宰の「日本漢詩文における古典形成の研究ならびに研究環境のグローバル化に対応した日本漢文学の通史の検討(日本漢文プロジェクト)」(国文学研究資料館・公募型共同研究)との合同開催で8月1日・2日の2日間にわたって行われた。古代・中世班リーダーの荒木浩から参加者に向けて、大衆文化プロジェクト全体の構想および第1回研究会の成果報告、さらに今後の展開および具体的な開催予定に関する説明が行われた後、参加者の自己紹介が行われた。

初日の1本目の報告、合山林太郎の「様々なる<和漢>:日本漢文学プロジェクトの成果と展望」は、国文学研究資料館の「日本漢詩文における古典形成の研究ならびに研究環境のグローバル化に対応した日本漢文学の通史の検討(略称:日本漢文学プロジェクト)」の概要を紹介するものだった。プロジェクトの柱は2つあり、ひとつは日本漢詩文の“古典”や“名作”がどのような経緯を経てそのようにみなされていったか(名詩形成)を詞華集の網羅的蒐集を通じて総合的に分析すること、もうひとつは時代区分や研究史などの基礎的な概念などを、世界的な視野から再検討し、日本漢文学の新たな通史を構想することである。ただし、日本漢文学は、常に中国からの影響を受け、前代の日本からの連続性が乏しいという事情もあり、通史を作る上で依然として課題が多いことも指摘された。漢詩文の大衆化・日本化の歴史を追うという視点は、大衆文化プロジェクトの今後の方向性を考える上でも有益であろう。
2本目の報告、劉雨珍(南開大学教授・日文研外国人研究員)の「筆談で見る明治前期の中日文学交流」は、漢字文化圏独特の交流手段である筆談に注目したものである。この報告は、清国初代公使として明治10年から明治15年まで2本に駐在した何如璋、副使の張斯桂、参賛官の黄遵憲らと、元高崎藩主の大河内輝声、漢学者の宮島誠一郎、石川鴻斎、増田貢、重野安繹、青山延寿らとの間で交わされた筆談を中心に、明治前期、東京を舞台に展開された日中文化交流の実態に迫っており、非常に興味深いものであった。大河内輝声が通訳を拒否して、筆談にこだわったエピソードは、漢字が東アジア文化圏の共通語であったことを象徴しているように感じた。また、清の外交官が紅楼夢を、日本の漢学者が源氏物語を紹介するなど、日中の文化人が自国文化をどのように認識していたかが端的に示される点は筆談という史料の魅力であると考える。
初日の総合討議では、合山報告に対して、中国の漢詩文が日本でどのように受容されたかという視点だけでなく、日本の漢詩文が中国でどのように受容されたかという視点も必要ではないかとの指摘がなされた。また劉報告に関連して、韓国やベトナムの日常生活の中から漢字が消えつつある現在、東アジアにおける筆談による文化交流の時代を見直すことにどのような意義があるかという問題について議論があった。また両報告に対し、文学の議論に特化しすぎており中国思想の問題が抜け落ちているのではないかとの意見もあった。

2日目の1本目の報告、エドアルド・ジェルリーニ(カフォスカリ・ヴェネツィア大学、博報財団フェロー・日文研外来研究員)の「文学は無用か「不朽の盛事」か―平安朝前期に見る「文」の社会的役割とその世界文学における位相」は、ヨーロッパと東アジアの古典を比較するというアプローチによって、菅原道真の応制詩を再評価するものだった。伝統的な国文学研究では、宮廷詩人としての菅原道真の詩は、故事や中国古典を引用する過剰に装飾的な詩で、オリジナリティに乏しく「真の詩」ではないと軽視されてきた。しかし道真は嵯峨朝の文章経国思想を継承し、詩宴という公的儀式において「詩臣」として政治的役割を果たすという信念に基づき貞観・元慶期の詩人無用論に対抗した。こうした道真のあり方は、ロマン主義以前のヨーロッパの詩人に近似するという。現代の文学概念を基準に、全てのテクストを文学か非文学かを区別し、後者を貶めがちな文学研究の問題点も指摘された。
2本目の報告、葛継勇(鄭州大学、日文研外国人研究員)の「「東国至人」から「郷賊」へ、「還俗僧」から「取経者」へ――留学僧円載の人間像と唐人送別詩」は、円仁・円珍と同時期に唐で仏教を学んだ円載の実像に迫るものである。円載は在唐留学四十年間の、帰国の途に着いたが、船が難破し、横死を遂げた。このため、無事に日本に戻った円仁・円珍が天台宗の双璧として尊崇されたのに対し、円珍と確執のあった円載は「破戒僧」などの悪評を得た。本報告は、円仁・円珍の日記・伝記・奥書・経典注疏などの諸史料や、唐人が円載に贈った送別詩を詳細に分析することで、円載が名利を求めず国費留学僧としての使命を全うしようと刻苦勉励し唐人にも求法者として尊敬されていたことを明らかにしている。円載の在唐中の交友は、日唐文化交流史を進展させる上で貴重な事例と言えよう。
ディスカサントの滝川幸司(京都女子大学)は、ジェルリーニ報告に対し、詩と政治が不可分に結びついていたのは嵯峨朝に限ったことではなく、「嵯峨朝の文章経国思想」と特別視すべきではないと指摘した。また日本における日本漢文学研究では、抒情詩中心的な見方は克服されつつあると述べた。葛報告に対しては、円載に対する唐人送別詩を正確に解釈するためには、阿倍仲麻呂など他の留学日本人に対する唐人送別詩との比較を進め、唐人送別詩の類型性を解明する必要があると指摘した。
2日目の質疑・総合討議では、ジェルリーニ報告・葛報告がそれぞれ提示した漢詩の解釈に対して異論が提出されるなど、活発な議論が交わされた。

2日間にわたる研究会において、日本文化の基底と総体を考える上で欠かすことのできない〈漢文〉について、国際的・学際的な視点で議論を積み重ねることができたと考える。

以上
(呉座勇一)