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レポート:日本大衆文化シリーズ講座in北京① 9/26

レポート:日本大衆文化シリーズ講座in北京① 9/26

レポート:日本大衆文化シリーズ講座in北京① 9/26

日本大衆文化シリーズ講座in北京第1回が、清華大学外国語学部で行われた。講義室は、若い学生たちでほぼ満席となった。王成・清華大学外文系教授、陳愛陽・清華大学外文系副教授の司会により、細川周平教授と大塚英志教授の講義が続けて行われた。各講義のあとには、学生からの活発な質問が寄せられた

 

細川周平「近代日本音楽史の輪郭」

要旨:

1853年のアメリカ軍艦(「黒船」)到来は、他の分野と同じく音楽の分野でも時代を画す出来事だった。強力な軍事力が特別な楽音の命令系統を持って機能していることを知った日本側は、積極的に学習を開始し、背後の音楽文化が科学・哲学・政治・経済などと連動した「世界音楽システム」と呼んでもよいくくりであることを学んだ。それはおよそ次の特徴を持っていることを少しのうちに学んだ。1)数理的構造(平均律音階)、2)記号の支配(楽譜)、3)公共的教育体制(学校)、4)自律美学(美そのもの)、5)公開演奏会、6)国家・民族主義(国歌、国家の代表・象徴)。この授業ではこれらの受容のさまざまな局面を概観し、音楽文化の近代化について考える。

報告:

まず、近代の音楽のなかで、劇場がどのように普及したのかについて、錦輝館(1891年)、日比谷公園音楽堂(1905年)、帝国劇場(1911年)、日本劇場(1933年)などの戦前までのさまざまな劇場について、聴く人、場所、曲、テクノロジーという観点から説明された。

マンドリン、アコーディオン、ハーモニカといった民間洋楽器(簡単に手に入り、演奏も難しくない、いわば「下」から普及していった洋楽器)がどのように普及したのかについて、楽譜、商品の種類、雑誌などを例に説明された。質疑応答では、関西地方の音楽受容についての質問があった。

 

大塚英志「戦時下東宝映画文化工作と戦後日本サブカルチャーの発生」

要旨:

日本統治下の上海で東宝・陸軍の関与した偽装中国映画『茶花女』の文化工作、その裏側を自著『上海文人記』を「原作」にして映画『上海の月』として描くなどした、プロデューサー松崎啓次は、戦後、実写版テレビドラマ「鉄腕アトム」の制作を行う。このように戦後のサブカルチャーの黎明期を作ったものの多くが元プロレタリア芸術運動出身で戦時下、文化工作・宣伝工作に関与した経歴を持つ。彼らが戦時下宣伝工作を経て戦後に持ち込んだ戦時下の文化工作の方法論やメディア理論が戦後日本サブカルチャーを作った歴史を、今回初めて公にする牧野守氏所蔵の東宝文化工作を記録した一次資料「市川綱二文書」などを紹介しつつ、戦後日本大衆文化の戦時下との連続性を明らかにする。「市川綱二文書」は、PCL、東宝の事務方だった市川綱二の戦時下の事務関連文書で牧野氏の好意で日本に先駆け北京で公開される。

 

報告:

映画監督である一方で、映画史、特に記録映画の一次資料の収集家として知られる在野の映画史家・牧野守(1935-)所蔵の貴重な資料をもとに、中国映画『茶花女』(1938年)の制作背景を詳細にたどることで、戦後日本大衆文化と戦時下の文化工作との連続性について説明された。歴史における生々しさのようなものを放つこれらの資料により、当時の複雑かつ緊迫した映画制作の背景などが示され、戦時下のアヴァンギャルドらの取り組みの検討によってすることでこそ、戦後のサブカルチャーの表現の重要性の理解につながる点が強調された。最後に、10月末から11月に北京外国語大学で日本大衆文化史についての連続講義を行うことが紹介された。

(報告・前川志織)